「お願いします」
ほっと胸を撫で下ろす。やっと久々に部屋をとれた。
長陽城の旅館は、狭いけれど雰囲気はよく安価だし、なかなか人気だからだめもとだったんだけれども。姉さんからの罵倒を半ば覚悟していたが、どうやら今日は大丈夫そうだ。
僕もいいかげん野宿にも疲れてきて、ゆっくり休みたいところだったし、しばらく長陽城に用事があるから、駐留場所を確保できたのは非常にありがたい。
店員と料金の勘定をしていると、机が大きな音と共にはねた。
「泊めろ」
音の正体は、小銭だった。小銭が大量に入った袋を、勘定台に乱暴に置いたのだ。なんてぶしつけな客だ、と振り向くと、見るからに目つきの悪い、赤髪の修羅族の男が店員を睨みつけていた。ちなみに、この旅館は酒場もやっており、そっちの客が何事かと全員こちらを見ていた。いるんだよなぁ、こういうごろつき。
店員のほうはというと、すっかり怯え、震えている。そんな様子に機嫌を損ねたのか、はたまた最初から機嫌が悪いのか、男は再びドスを効かせた声で静かに言った。
「泊めろっつってんだよ。金は出す」
そんな言い方をするほうが返事しにくいというのに。こういう人間は配慮が足らないから困る。
ちぢこまっていた店員は、男の顔色を伺いながら、おずおずと言った。
「た、大変申し訳ありませんが、丁度満員になりまして……」
「あぁ！？なんだってぇ！？」
「で、ですから……」
どうにか刺激しまいと必死に発言する店員の態度虚しく、男は身勝手に声を荒げる。
「んなら金額2倍出す。それなら文句ねぇだろ！」
小銭袋を強調するように、再び机を叩く。酒場に響く音に、振りかえる酒盛りたち。普通の店なら、この横暴な態度と金額から、折れてしまうほうのことが多いのだけど――
「た、大変ありがたいお申し出なのですが、お金の問題ではありませんので……
既にお泊りの約束をしたお客様を追いだすわけには、いきませんから」
この旅館は、けじめがしっかりしている所も含めて人気なんだ。しかし、これでは男は逆上するばかりだろう、というより案の定逆上した。人の多い長陽城で店を出している場合、こういう客が来たときの保険に、用心棒を雇っていることが多い。でもこの旅館は城内唯一用心棒のいない店。
「兄さん。聞けば、かなり自分勝手な注文じゃないか」
「あぁなんだテメェ横から。やんのか？アァ？」
朱色の衣服に身を包んだ青年がごろつきに話しかける。僕は何度かこの旅館に来ているが、よく見かける客の一人だ。つまり、常連が用心棒の役割を果たしてくれているのだ。僕も実際、彼らに昏倒させられる、迷惑な客を何度も見ている。
一応、言葉で説き伏せようとする青年だが、今回のごろつきも、もちろん聞きいれようとはしない。いくつか言葉を交わし、無駄か、とでも言うように青年が首を横に振った後、彼の拳がごろつきのみぞおち方面へと走る。
やれやれ、これで静かにな――
ゴヅ。
鈍い、低い音がして、青年の拳が目的地に到達する前に止まる。いつのまに構えたのか、ごろつきの棍が青年の拳を受けとめていた。予想外の光景に、思わず思考がとまる。
今まで僕が見てきたごろつきとは格が違う。左右非対称に顔をゆがめるごろつきに、驚きを隠せない青年。
「んな正義の味方ヅラして、喧嘩売る気満々じゃねぇか」
「くっ」
青年は眉を潜めて悔しそうにうめく。棍を構えるごろつきに、反射的に拳を構える青年。今にも、店内で戦いが起きそうな張りつめた空気に、店員がとっさに叫ぶ。
「お、お客様！店内では！」
かばって貰って申し訳ないが、という気持ちを青年に目いっぱい向けた言葉に、はっとする彼。しかしごろつきのほうはそんなこと知る由もないといった様子で、むしろそれを好機とばかりに棍を振り上げようとする。まずい！これはまずい！
「ちょ、待った！止まれ止まれ！」
両手を広げ、すかさず割って入った。流石のごろつきも動きが止まる。どうにか間に合ったようで、心の中で胸を撫で下ろす。な、殴られないでよかった。
どうどう、と手でなだめて両者の距離を離し、ひと呼吸おいて落ち着かせる。続けて僕は、はぁとため息をつき、ほとほと自分の人の良さに呆れながらしゃべった。
「とにかく。そこの修羅族さんは、旅館で泊まれれば満足なんだろう。
僕の部屋をひとつ譲るから、ここは収まってくれないか」
僕自身に責任は全くないし、部屋を譲る義理がないのは自分が一番よく判っている。僕の提案は3人には予想外だったようで、店員と青年は首を振って抗議をする。しかし僕はそれを手で制し、店員に、二部屋を一部屋にする注文をした。久々に布団で寝たいところだが、どう考えても姉さんがそれを許してくれそうにないし、床で寝ても野宿よりはずっとマシだ。と自分に言い聞かせる。このごろつきと隣部屋になるのは避けられそうにないけれど。とほほ。
すまなそうに頭を下げる二人に、いいから、と首をふっていたら、予想外の方向から、いきなり両肩を掴まれた。ごろつきに、だ。
殴られる！？
反射的にそう思い、身をこわばらせて目をつむる。飛んでくる拳を覚悟したが、いつまでたっても何も起きない。そうっと目を開けると、多分今日で一番予想外のことが目の前に起きていた。
相変わらず両手は肩をがっちりと掴んだままだったが、ごろつきが、僕に深く頭を下げていた。
あっけにとられていると、がばりと顔を上げ、この上ない迫力のまま、真顔で叫んだ。
「助かる！めっちゃ助かった！」
ばん、と痛いほど、というか、痛かった。それほど強く僕の肩を叩いた後、店員に部屋の場所を詰めよる。部屋の鍵と場所の答えが返るや否や、その巨体をどすどすと音をさせて階段へと走った。
僕を含めた3人は呆然とその様子を見つめるだけだったが、2階へと上りきる前に、こちらに再び声を張り上げた。
「旅館の兄ちゃん！酒2升頼む！
白髪のボウズ！俺のおごりだ、ありがたく飲め！」
その声の反響が収まった後、どすどすという音が小さくなっていき、残るのは放心状態の人間だけとなった。どのくらい時間が経ったかは判らないが、酒場の客も含めて、その間動こうとしなかった。
再びガヤガヤと時間が戻り始めたころに、僕と青年は顔を見合わせる。
「あれは、なんだったんだい？」
「僕が聞きたい」