あいつの治療方法を探すために、薬屋から書物を、脅しつけ……いや、借りたのはよかったんだが、内容がちょいとも判らん。目の前に並ぶのは漢方の名前。俺でなくても、普通に暮らしている人間には辛いんじゃないか、と思う。それに、俺は読み書きは、実はさわり程度しかできない。そもそも、頭を使う仕事はもともと嫌いだ。目的の情報が、どの書物のどこにあるか、なんてことを知るのは相当先の話になりそうだ。
知恵熱と頭痛でくらくらする。本当は書物なんぞ触りたくもない。だが、ちらりと視界の端に寝床が入り込む。そこに苦しそうにうめいているのは、桃色の髪をした、見た目年端もいかない小さなガキ。普段は桃色をしている頬が、今は痛々しいほど青白くなっている。こいつ、タオファのことでなきゃ、旅館ごと書物の山を放火しているところだ。
こいつが頭痛を訴えたのは一週間前のことだった。最初はただの風邪かなんかだと思ったんだ。だから、眠るときに布団の枚数を増やしたり消化の良いものを食べさせたり休憩を多めにとったり、俺なりに気を配ったつもりだったんだが、日に日に酷くなる一方。んで、今日ついに、意識を失っちまった。この旅館も、今日は満室だったらしいが、店員に怒鳴り散ら……譲ってもらって今に至る。が、休む場所ができたからといって、状態は悪化はしなくても改善する様子はなさそうだ。
「ちくしょう!」
そう短く叫ぶと、酒を煽った。乱暴に酒を置いたため、その衝撃で書物が落ちそうになるが、音でタオファが起きる様子はない。あぁ、もう本当にどうすりゃいいんだ。
酔った状態では、なお、文章を理解することが難しくなるんじゃないかってのが通例だが、どうやら俺自信、半分ヤケになっているらしい。ギリギリと歯軋りをして再びその書物に向き直った。
***
居眠りをしてしまったことで、寝ているタオファに罪悪感を抱きつつ、物音の方向に、半分寝ている意識を向ける。一瞬猫か犬かが食い物を漁っているのかと思ったが、ここは旅館であるから……
泥棒か。
そう結論づけたとたん、酔いも眠気もはっきり覚めた。机に立てかけておいた棍を手に取り、物音を立てないよう机を離れる。気配を消して、壁をへた向こう部屋ににじりよった。その壁からそっと除き見ると、一人の天人が、旅館の置物や絵画などをうっとりとした顔で撫でていた。
なんだこいつ。
泥棒、と言ってもよさそうではあるが、どちらかというと、犬好きの人間が犬を愛でているような、そんな表情。泥棒というのは、金目になりそうなものを探し、見つけたらさっと逃げてしまうのが普通だが、この天人は興味深そうに部屋のあちこちを嬉しそうに触れまわり、うっとりとするだけで、それがいかにも気色悪い。
完全に毒気を抜かれてしまい、呆然としていたとき、ヤツがこちらに気づく。
「おや、やっと起きた?おはよう」
「はぁ……おはよう」
なんとも間の抜けた挨拶に、こちらも拍子抜けしてしまった。
相手は、四角い眼鏡をかけていて、導きの証をしょっていた。なんだか余裕のある笑みを浮かべていて、首から勾玉を下げている。眼鏡と表情で、人のよい知的な人間という印象はするが、場所が場所。人の部屋に勝手に入ってきて変な行動をとられているため、どう対応していいのかよう判らん。
「いやあ、面白いものばかりだねえ。ついつい魅入ってしまうよ。ああ、あれも面白い。これも面白い」
そう言い、また部屋を漁り始める。部屋の主が現れても動じないとは、どうやら泥棒ではない、と思う。普通の人間はそもそもこんなところで会ったりすることすらないから、普通ではないのは当たり前。それに加えて、この行動は、どう考えても……あれ、だとしか思えない。
と、結論が出た瞬間、何かを思いだしたらしく手を叩いた。
「あっそうだ!」
「うわっ寄るな変態!」
近づいてこようとした変態に、条件反射で棍を振り回す。変態は驚いて後ろに下がる。
変態という言葉に傷ついたようで、肩を落として言った。
「酷いなあ、私は変態じゃあない」
「じゃあ変質者か?」
「それ同じようなもんじゃないか。
私は鏡王だよ。鏡王イエンマオ。あなたも、鏡王という単語くらいは聞いたことがあるだろう?」
鏡王、という言葉を3度も出して強調するイエンマオ。まぁ、俺をはじめとする修羅族は、知識に重きを置かない種族だが、崑崙鏡世界にいる以上は聞かざるを得ない言葉なのはたしかだ。だが、この目の前の変態もどきが鏡王ぉ?信用しろというほうが無理だろ。とはいえ、当人がそうだと言ってる以上、そういうことで話を進めていくほうが吉か。
「はあ。その、崑崙鏡世界の管理者様が、なんだって俺の部屋で物品漁ってんだ」
「いやあ、下界にはめったに来ないものだから、ついつい面白くて。
これで、私の心のひっかかりがひとつ消えた。いやーよかったよかった」
「はあ」
「もう一つ、錬妖壺のことがひっかかっていてねえ。これさえ解決すれば私も枕を高くして寝れるんだけれど。
頼みたいのはそのことなんだよね」
「へっ?」
さっきまで寝ていたからというわけではないが、本当に寝耳に水。この目の前の相手とは、話したことも、会ったことすらない。赤の他人に用があるとは、仮に本当に鏡王だとしても、その重大な人物がなぜ俺に用があるのか。
おそらく、考えるだけ無駄かと思う。こいつには関わらないほうがよさそうだ。俺には、一刻をあらそう大事な他の用事がある。
「まだ寝たりねー。どっかいけよ」
「この崑崙鏡世界はジョカ神が作ったんだけど、そのときに余計に、妖魔っていう存在を作ってしまったんだ。
で、それを一旦錬妖壺に封印したんだけど、長い月日で壺仙人というのになったんだ」
こ、こいつ全然話聞かねえ!
「いや、聞けって」
「そして、彼の消息がわからなくなってしまったんだよ。それが気になることでねえ。
彼の行方は、たしか三巨頭が追っているはず。彼らの組織に紛れこんで接触できれば……そうだな、火鳳凰のところが、一番人数が多くて管理もわりと雑なんだ。そこなら入り込めそうだ」
「おい!」
「うん、ちょうど、火鳳凰の配下がなんだか井戸で陰謀を企ててるということを聞いている。
その人はまだ日が浅いから、蛟の部下とでも言っておけばいい」
「聞けよ!」
「明日の朝にでも、井戸に行っておいて。私はその手配をしておくから。じゃ、壺仙人のことよろしくね」
「待て!!そもそも」
***
叫びながら目が覚めた。どうやら、居眠りをしていたらしい。夢か?にしては、はっきりと記憶に残っている。ジョカ神?壺仙人?変な夢をみたもんだ。
苦しそうな声に気づき、振り向くと再びあいつが目に入る。そうだ、タオファを治療する方法を探さんと。
そう思い、改めて机に向き直ると、見慣れない水筒と、開いた覚えのない書物が広がっていた。
あまり得意ではない頭を使い、書物に書いてある文を判るところだけ解読する。
――醒神剤
鏡童は記憶に障害があるため、酷い頭痛が起きるときがある。それを治療する液状の飲み薬。
材料や作り方は不明。鏡王や、鏡王から教わった鏡童しか作り方を知らないと言われている。
非常に苦い――
文章を理解したあとも、この現状を理解するのにしばらく時間がかかった。俺が寝る前はこんな文書は広げていなかったし、この水筒も置いた覚えはない。倒れているタオファがこれを置いた可能性も無い。
とすると……?
とりあえず水筒の蓋をあけ、液体を指につける。それを舌へと運ぶと、何にも例えがたいほどの酷い苦味が広がった。
「うえっ。
……これの代わりに働けってことかよ、イエンマオさんとやら」
いまいち信用しきれんがな、と付けたして、大きなため息をついた。